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Little me

本、映画、ドラマ。感じたことをそのままに。

平穏を求めて極端に走るアメリカ人 -"Eat, Pray, Love" by Elizabeth Gilbert

そのままの題で映画化された(邦題「食べて、祈って、恋をして」)この原作本が、700万部を超える人気作ということで読んでみた。 

Eat, Pray, Love: One Woman's Search for Everything

Eat, Pray, Love: One Woman's Search for Everything

 

 イタリアでは食の快楽を求めて食べまくり、インドのアシュラムでは精神性を高めるべく瞑想の日々を送り、バリ島では欲望とスピリチュアルのはざまでバランスを学ぶ…人生をリセットして、自分自身の内面を探求するために旅に出た著者。あらゆることに冷静な視点をもって正直に、ユーモアたっぷりに綴ります。(Amazon商品説明より)

映画はだいぶ軽いタッチの表面的な話になってしまって残念だったが、原作では、作者が離婚や失恋の痛手から立ち直るため自分の内面の探求を図る過程がねっとりしっかり語られている。個人的には、イタリアでの歩き回る生活や、心身を整えようとゆったり過ごすバリでの日々は読んでいて心地よかった。逆に、ヨガ施設にこもってひたすら心と向き合うインド編は景色の変化もなく、ぐったり疲れてしまった。

女性の共感が多いあたり、壁にぶつかりやすい30歳前後で、物理的にぱあっと日常生活を離れたい願望がみんなあるんだろうなあ、分かるなあ、と感じた。自分がもし1年かけて3都市で生活するとしたらどこがいいかな、と想像すると楽しい。行ってみたいリストにある中だとロンドン、スペインのアンダルシア地方、ブエノスアイレスあたり。行った中で生活してみたいと思うのはラオスのルアンパバンやトルコのイスタンブール、京都かな。などなど。

さて、この本の中で普段の疑問にぽっとヒントをくれたことがある。アメリカ人の習性に関してだ。アメリカ人と一口にまとめるのも雑すぎるが、大まかに、とてもポジティブでエネルギッシュ、言葉はストレートでオープンハートな人たちが多いという印象を昔から持っていた。日本人に比べて人生を謳歌するのが上手そうだと。なので渡米してから、ヨガや瞑想、仏教的思想が流行りを見せていて、これまでを否定していきなりハマる人が結構多いという事実に違和感を抱いていた。経済停滞の閉塞感もあるだろうけど、楽しむということが得意そうなのに、なぜストイックに救いを求めるのかなあと。それに対する答えの一部がこの本の中にあった。(イタリア編から以下引用)

Generally speaking, though, Americans have an inability to relax into sheer pleasure.  Ous is an entertainment-seeking nation, but not necessarily a pleasure-seeking one. 

 つまり、自分自身を楽しませ、モチベーションを高く持ち続けようとする習性はある。が、それはヨーロッパの人がバケーションで求めるようなPleasureとは違う。リラックスして静かに今を味わうということが苦手なのである。これによって知らず知らずに疲れを溜めてしまう、と。

なるほど~これは一理ある、と納得した。周りを見ても、特に都市部の人ほどWork hard, Play hard。これに歪みが出たとき、平穏を求めようとしてもやり方が分からないので極端に走るのかもしれない。

これは東京育ちで刺激好きな自分も悩ましいことだ。日常を少し変えて、今を楽しむことに意識を向けるだけで実は大きく変わるのに。極端を楽しむ余裕があるうちはいいが、まずは今日の一歩を変えてみよう。

旅で自分は探せるか -"Wild"/「わたしに会うまでの1600キロ」

原題の通り、一人孤独にアメリカの自然に向かって歩き続ける話。

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スタートしてすぐに、「バカなことをした」と後悔するシェリル。
今日から一人で砂漠と山道を歩くのだが、詰め込みすぎた巨大なバックパックにふらつき、テントを張るのに何度も失敗し、コンロの燃料を間違ったせいで冷たい粥しか食べられない。この旅を思い立った時、シェリルは最低の日々を送っていた。どんなに辛い境遇でもいつも人生を楽しんでいた母の死に耐えられず、優しい夫を裏切っては薬と男に溺れていた。遂に結婚生活も破綻し、このままでは残りの人生も台無しだ。母が誇りに思ってくれた自分を取り戻すために、一から出直すと決めたのだ。
だが、この道は人生よりも厳しかった。極寒の雪山、酷暑の砂漠に行く手を阻まれ、食べ物も底をつくなど、命の危険にさらされながら、自分と向き合うシェリル。果たして彼女が、1600キロの道のりで見つけたものとは──? (Amazon商品紹介より)

旅ものは大好きだ。移りゆく景色を見ると自分も旅をしているような気分になれる。

この主人公のように、何かを変えるきっかけに旅を選ぶこと人は多い。私の周りでは、突然しがらみを捨てて未知の世界に飛び込もうとするのは女性である確率が高い。それは“自分探し”と、自ら称したり周りから揶揄されたりする。旅をすることで自分を探すことなんてできるんだろうか。

 

過去の経験から思い起こすと、旅の途中で、自分が変わりつつあるな、とか、真の自分が見えてきたな、とか、そんなに分かりやすく感じられたことはあまりない。目の前にどんなに美しい、広大な、知らない世界が広がっていたとしても、頭の中にあるのはとんでもなく生活じみた下らないことだったりする。ここまで来て考えることじゃないよなあ、とつぶやいたり。

ただ、ふとした瞬間に、普段は思い出しもしない過去のことがよみがえってくることがあるのだ。あ、この光の感じ、昔よく行ったおじいちゃん家でうたた寝していた時に似ている。あの子の振る舞い、親に口応えしていた中学生の時の私に似ている。この風の匂い、家族皆で住んでいた頃の夕食どきと似ている。などなど。それが自分の強烈な感情(寂しい、悔しい、嬉しい、心地よい、など)に結びついていることが多く、ざわざわと気持ちが揺さぶられる。こういう出来事にふんわりと包まれることが、旅=非日常のなせる業ではと思っている。

そして、帰ったあとにじわじわと効いてくる効用もある。今度は逆に、日常生活の中で旅の途中の感覚や感情を思い出す瞬間があるのだ。これをあの場で食べたときはすごく美味しかったなあ。人に優しくしてもらったとき、もっと素直に喜んでいたなあ、と。こうしてふっと日常から離れ、次にとる行動を変えられるような記憶を持って帰ることも、旅の醍醐味だ。

なので自分探しに旅に行くという人がいたら、「できるかな」と言ってしまうと思うが、それでも「普段はない感情に出会えるから、ぜひ行った方がいいよ」と背中を押してあげようと思う。

 

 

 

 

友達以上恋人未満はありえるか -"Once"/「ONCE ダブリンの街角で」

見たあとにぽっと心が温かくなるアイルランド映画を見た。

ONCE ダブリンの街角で [DVD]

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ある日、ダブリンの街角で、男と女が出会う。男は、穴の空いたギターを抱えたストリートミュージシャン。女は、楽器店でピアノを弾くのを楽しみにしているチェコからの移民。そんな2人を音楽が結びつけた。彼が書いた曲で初めてのセッションに臨み、意気投合する2人。次第に惹かれあうものの、彼らは互いに断ち切れぬ過去のしがらみを抱えていた。もどかしさを胸に秘めたまま、2人の気持ちが揺れ動いていく…。(Amazon商品紹介より)

何といってもこの映画全体に漂う空気感がいい。ドキュメンタリーのような自然な演技とカメラワーク、シンプルで心に残る台詞、静かに人が支えあう街の雰囲気、そして何より二人で紡ぎ出す優しいメロディ。派手さのない、良質な映画に出会えたときは心からぞくぞくする。

最後まで二人はあくまで音楽のパートナーであるという距離感を埋めず、それぞれの人生を歩んでいく、というラブシーンのないラブストーリーというのがこの映画の特徴だ。二人がこれ以上近づくというストーリー展開はありえなかったのだろうか。こうした友達以上恋人未満の存在は実際あるのか。

私はそもそも男女間の友情を信じているが、確かに、自分の弱い部分を見せ共有した異性が単なる友達だったかと聞かれると難しい。仲は良くても、一線を越えることはないという暗黙の了解はある。ただ、お互い恋人ができたり結婚したら、とくに問題はないといいながら、何となく間を取り、あえて連絡を取らなくなる。それは自分自身や相手のパートナーへの配慮であり、つまりは友達以上の何かを持つ相手であることを認めているに等しい。反対に、自分のパートナーにそんな存在の異性がいたとしたらとても寂しい。“元恋人"とか分かりやすい肩書きでないがゆえに、「まだ連絡をとっているの?」「二人で会うの?」と責めることもできない。

おそらく、人生のうちどこかの場面でそんな人に出会うことが皆あるのだろう。恋や愛ではなくとも、お互いを優しく労わり合った人がいたというのはすばらしいことだ。一線を越えてしまうと、続けるか終らせるかの二択になってしまう。そうでない関係であれば、離れてもいつかまた線がつながることもある。そのままでいた方が幸せな相手もいるのだ。

傷ついた女心に共感する -"PS, I Love You" by Cecelia Ahern/「P.S.アイラヴユー」

同タイトルの映画を見たことがあるので、想像しながら読めるだろうと思い原書を読んでみた。本筋以外は映画と違うようで、しかも映画のことはまるっきり忘れていたが、とても読みやすい小説だった。

PS, I Love You

PS, I Love You

 

最愛の夫ジェリーを亡くし、絶望に打ちひしがれる妻・ホリーのもとに、ある日ジェリーからのメッセージが届く。それから次々と様々な方法でホリーのもとに届けられる“消印のない”手紙。最愛の夫を失った悲しみと、最愛の人に出会えた幸せをかみしめながら、友情、そして家族の愛に支えられ、ホリーは徐々に生きる力を取り戻していく……。(Amazon商品紹介より)

死を扱ってはいるがタイプ的にはライトノベルと言える。主人公ホリーが元気を取り戻していく過程はちょっと無理があった。特に仕事を得たり失ったりする場面で軽さが目立つ。賛否両論、好き嫌いが分かれる作品だろう。

それでも、総じてこの本は悪くはなかったなあと思う。なぜだろう。

それは、深く傷ついたホリーが取る行動や気持ちの移ろいに、女同士ならではの「わかる、わかる」が詰まっているからだ。残り香のある彼の服を着てしまう。わかる、わかる。声を聞きたくて携帯の契約を残し、留守電に何度もかけてしまう。わかる、わかる。「時間が解決するよ」という言葉に、逆に傷ついてしまう。わかる、わかる。

慰めてくれていた親友たちが結婚や妊娠で人生のコマを進めることに、どうしても気持ちがついていけない。自分もお祝いしてもらったのだから、親友なのだから、笑顔で祝福して楽しんであげないと。そう分かってはいても、自分の殻にこもって「まだ喜べる状態ではない」と言ってしまうあたり、自分にも心当たりがあって辛かった。

そして、ジェリーの幻影と会話してしまうシーンは胸がきゅーっとしめつけられた。洗面台で顔をあげたら、鏡の向こうに彼がいるのだ。"Miss me?"と笑顔で聞いてくる。アメリカドラマ”アリーmy Love”でも似たシーンがあったのを思い出した。死んだ幼なじみがお店のショーウィンドウやオフィスにふいに現れ、語りかける。"Please come back"といっても、相手は寂しそうに"I can't"というだけ。大切な人と突然分かれたら、こんな風にいつも気配を探して声をかけてしまうのだろうか。

底の見えない深い闇にいるかと思ったら光が見えたり、また闇に戻ったり。心は簡単には癒えず、浮き沈みを繰り返すのだ。時にはあえて利己的にふるまうのもいい。時間が解決してくれるとは思いたくないが、時間が必要なのはきっと確かなんだ。

 

2度、息子を持つ母の気持ちになる -"Forrest Gump"/「フォレスト・ガンプ/一期一会」

懐かしい作品を見た。アメリカの良心のような映画だ。

フォレスト・ガンプ [DVD]

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“人生は食べてみなければわからない、チョコレートの箱と同じ”―――アメリカの激動する歴史を駆け抜けた、トム・ハンクス演じる青年フォレストの青春を暖かい感動で描いて、アカデミー賞(R)作品賞ほか6部門を独占した映画史に残る名作。(Amazon商品紹介より)

フォレストの一途さが見ていて気持ちがいい。周りに振り回されている感がなくもないが、一つ一つに集中する才能が彼の人生を救っていく。こうした優しい空気の流れているアメリカ映画は懐かしい。

それにしても、同じものを見ても年を重ねてからだとこうも見方が違うのか。この映画を今見ると、どうしても母の立場になって見てしまう。

まずはフォレストの母。大勢と比べると不器用に思えてしまうフォレストに、どうにか他の子と差異のないコースをと頑張る。フォレストの特徴を才能と捉えて信じる。少し押し付けがましい部分もあるが、外で理解されにくいフォレストがいくつになっても帰れるのがこの母のいる家なのだ。母が倒れたという知らせを聞いて、フォレストが船から飛び降り、必死の形相で家に走り帰るシーンには母の愛への報いを感じた。こんな風に、大人になった息子が慕ってくれたら本望だよなあ。

そして、今度はフォレストの幼なじみ、ジェニー。最後、母になったジェニーはこれまでの若いときよりもぐっと柔らかく綺麗になる。まだ幼い息子を残して病気になってしまう自分の運命をどう思うんだろうか。彼がフォレストによって大切に育てられているのを、空からどんな想いで見ているのだろうか。二人が卓球をしたり本を読んだりスクールバスを待ったりしているシーンを見ると、この場にいたかっただろうなあと想像してしまう。細かい観察だが、その息子がきちんと食事をとり身綺麗にしているのを見てこちらまでほっとしてしまった。ちゃんと食べてるんだろうか、清潔な服を着られているだろうか。母親が子供を思うときに一番に気にしてしまうのはきっとこの2つだと思うからだ。

 

 

アンは皆の永遠の女友達 -"Anne of Green Gables", Lucy Maud Montgomery/「赤毛のアン」

 なつかしい洋書を読むとなると欠かせなかったのが「赤毛のアン」だ。

Anne of Green Gables (Anne of Green Gables Novels)

Anne of Green Gables (Anne of Green Gables Novels)

 

新しい生活に期待で胸をふくらませ、おしゃべりな赤毛の孤児アンが、マシュー・カスバートに連れられてグリーン・ゲイブルズへやってきた。そんなアンにマシューの妹マリラは言う。「わたしたちが頼んだのは男の子なんだよ。女の子など農作業には役に立たないからね」。だが、ほどなくカスバート家の兄妹は、アンのいない生活など考えられなくなってしまう――孤児を引き取ることを決めた本来の理由とは別の理由で。(Amazon商品紹介より)

原著は古典文学からの引用やアンの大げさな表現にひっかかってスムーズには読みづらかったが、変わらずプリンスエドワード島の美しい風景がつぶさに目に浮かぶようで、満足のある読後感だった。

前半はアンの頑固さや失敗続きにハラハラ、むしろイライラしてしまう。なぜ、こんなに残念なエピソードが絶えないのか!そしてアンの空想的な台詞が2ページにまたがって続いたりするので、実際に横で聞かされているようにぐったり疲れてしまう。あれ、この本、私は本当に好きだったんだろうか…。

それでも、マリラと同じように気がついてくるのだ。アンの人間性にぐんぐん惹きこまれていることを。後半、アンは少し大人になり少し思慮深くなってくる。そのときに感じる、寂しさ。夏から秋、そして冬へと静かな季節に移るのを見守っているような気持ちになる。

今回読み直してみて、赤毛のアンは長く愛される作品だが、皆誰の視点に立って感動しているのだろう、とふと思った。アン?マリラ?

実はアンの友達ダイアナなのではないか。恋愛よりも同性の友達が大切な年頃に、これほど熱く友情を語り、想像力や行動力でどんどん新しい世界を見せてくれる、でもちょっとドジな友達がいたらどれだけ楽しいだろう。相手の成功を自分のことのように喜べる関係。同性の友達は、目指すものや環境が変わると、寂しさや嫉妬が混じり距離を感じ始めたりする。それを知っているだけに、二人の間柄が羨ましい。アンとダイアナは変わらないでほしいなあ。と、それを知るためにも続編を読もう。

それにしても、マシューの倒れるシーンには泣けた。彼は私の祖父にそっくりなのだ。働き者で無口だけど実はよーく見ていて味方をしてくれる。アンのように最期一緒にはいられなかったが、穏やかに送ることはできたと信じたい。

 

サードプレイス×メンター -"Finding Forrester"/「小説家を見つけたら」

サードプレイスという言葉がスターバックスが流行り始めたときに出てきた。家でも、職場でも、学校でもない場所。役割を持たない自分に返れる場所。この映画における小説家フォレスターは少年ジャマールにそんな場所を作ってくれた。

小説家を見つけたら [DVD]

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高校生のジャマールは、処女作にしてピューリッツァー賞を受賞しながらも、その後消息を絶った伝説の大作家フォレスターと知り合う。フォレスターはジャマールの文才を認め、自分のことを秘密にするという条件で、彼の文筆指導を始めていく…。(Amazon商品紹介より)

中学や高校のときに、斜めの存在で生き様を見せてくれる人がいたら良かったなあ。家と学校と往復で、もちろん親や先生、友達が今の私を育ててくれたことには違いないが、多感な時期の閉塞感を打破するにはそれとは別の人と場所が必要だった気がする。フォレスターにがメンターとなる一方で、彼にとってもジャマールとの出会いが人生のブレークスルーになったように、一方的に指導し指導されるのではない関係が理想的だ。ニュー・シネマ・パラダイスでのトトとアルフレードもそうだった。

当時は結局、意識していた訳ではないが、本の世界が自分のサードプレイスになっていた。通学の満員電車や寝る前のベッド、駅のデパートにある川の見えるベンチで少しずつ割く時間が、毎日を彩ってくれた。夏目漱石、三浦綾子、灰谷健次郎、向田邦子、よしもとばなな…好きな作家を挙げようと思うときりがない。人に見せない自分の寂しい部分に気づかされ、弱い者によりそう優しさを教えられ、つねに一歩外に踏み出しながら自分を労わる大切さを学んだ。そういう存在であったから、映画や本に触れたときに作品として評価するのではなく、自分の体験におきかえて感じようとする癖がついた。

そして育児中の今もなお、映画や本があるからバランスが保てている。好きなことはコツコツと続けたほうがいいとよく聞くが、それは私にとっては隙間時間に細切れであっても映画と本に浸り続けることだろうな、と思う。